かわいひでとし日記
令和5年9月27日      時と場と人によって違うこと      ばかじゃねーの?の前に
  
先日ツイッターで有る人が「耳障りの良い事を言って云々、、」

と書いていた。

それに対して「耳障りの良い」などと言っている様では、

と、ある人が苦言を呈していた。

「耳障り」という言葉は「耳障りが悪い」など、

悪い意味で使う事が多い言葉(だった)。

良い意味で使う時は「耳当たりが良い」などと言う。

しかしまあ、言葉というものは時代とともに変化してゆくもの。

今ではもう普通に使ってしまっている事が多い。


自分が子供の頃、自分は東京生まれなのだが、

「どまん中」と言ったら、「そんな下品な言い方をしてはいけません」

と叱られた事が有った。「まんまん中と言いなさい」と。

これも昔、東京ではそうだった、というだけで、今ではみんな「どまん中」と言っている。

NHKでも「ど真ん中」と言うのでびっくりした事が有ったけれど、もうそうなのだろう。

「大地震」も、以前は「おおじしん」と言いなさいと言われたけれど、

今ではみんな「だいじしん」と言っている。

そいういうわけで、言葉は移ろうもの。

けれど、昔はこうだった、という事を言われた時、

「なにわけわかんねー事言ってるんだ、バカじゃねーの?」ではなく、

「ああ、昔はそうだったんですね」で良いのではないだろうか。


ちょっと前にこんなツイートが有った。

これに対してのコメントは

「なにわけわかんねー事言ってるんだ、バカじゃねーの?」が多かったのだけれど、

これも、昔はそうだった、という事情が有る。

ちょっと高級ぶった、堅苦しい和食の席などに出た場合、

左で箸を使うとけげんな目で見られる事は、今でも少し残っている場所も有る。

なので昔は子供が恥をかかない様に、箸は右で使う様に矯正する親も多かった。

なのでこれも、「昔はそうだった」という事を理解するだけで良く、

「バカじゃねーの?」まで言う必要は無いと思う。


昔から人間社会には階級の様な物が有って、高級店に行く人と、

大衆的な店に行く人は分れていたけれど、その境目がどんどん無くなりつつある。

貧乏人でも高級店に行っても構わない世の中になっているが、

普段は大衆的な店にしか行かない人でも、高級店に行ったらとりあえず、

その場のマナーに合わせるくらいはしても良いと思う。

レストランなどでは今でもネクタイをしていないと入れない店も有る。

なので、「バカじゃねーの?」ではなく、

「ここではそうなんだな」と思えばそれで良いのではないだろうか。

自分は大金持ちと大貧民、両方を経験している。

子供の頃はお金持ちの家のお坊ちゃまだったけれど、

小学生の時に家が破産して、とんでもない貧乏人になった。

そして今でも貧乏人だ。

なので、高級と大衆の差の様なものは解りやすいのかもしれない。


自分が知らなかった事を「バカじゃねーの?」と思うのではなく、

「そういう人も居るのか」とか「そういう場合も有るのか」

とか考えれば良いのではないだろうか。

結局、自分も知らなかったのだし、相手も知らなかったのだ。

自分が知らなかった事は「わけわかんねぇもの」と思う前に、

「自分が知らなかっただけなのかもしれない」と一呼吸入れる事で、

諍いや対立を防ぐ事も出来る。

「多様性」などと言って自分達の価値観を他人に押し付ける事が多い今の世の中。

人によって考え方や習慣も違っていると理解している事が大事であって、

それこそが本当の多様性になるのではないだろうか。

若い時は特に、親や大人たちから何か言われて、

「っるせーなー、なにわけわかんねぇ事言ってんだ」と思う事は良く有る。

それもまだ自分が知らない事なのだろうと、有難く拝聴したら良い。

「無知の知」という言葉が有る。

自分が知らない事を認識してみる一呼吸を入れる態度で生きたいものだ。



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