令和4年11月23日
人間の一生 糾える縄の如し |
毎朝、駅に来て1人で喋っている人が居る。 最初は電話しているのかと思ったらそうではなく、 ああ、そうなのか、と思った。 電車の中で1人で喋っている人とか、こういう人は良く見かけますよね。 長く生きていると、こういうことにも免疫が出来て来て、 特に異常な事とは思わない様になった。 先日、日曜日の朝に駅に行ったら、あの人が居て喋っているので、 日曜も休みじゃないんかい、と笑ってしまった。 まあいいよ、しょうがないじゃないか、いいんだよ、と思う。 いつもチャリで通る道沿いに老人専用のマンションが有って、 その塀の外にいつも座っている老婆が居る。 かわいらしい赤い帽子と赤いコートを着て、座っているのだ。 いつも座っているので、ああそうか、そうなんだな、と思った。 オシャレして外出しているのですよね。 まあ、いいと思う。オシャレを楽しんで外出してほしいと思う。 こういうことを見て、異常とか哀れとか思わなくなった。 べつに、普通じゃん、と思う様になった。 そんな中、サッカーワールドカップが開幕した。 自分もドーハの悲劇の時からずっと見続けているファンなので、 試合を見ようと思う。 けれど、長年日本代表を見て来ているので、過大な期待はしていない。 一次リーグ敗退でも驚かないし、その可能性も高いと思っている。 サッカーはいくら良い試合をしても、たった一つのミスで負けるのですよね。 99%頑張っても1%ミスったら台無しになる。 今回の日本代表はハイプレスとビルドアップが特徴だと言う。 それを武器として戦うわけだけれど、うまくいって点を取れる場面も有るだろうし、 奪われて失点する場面も有るだろう。 チャンスは半々だ。 うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。 人間の人生も似たようなところが有りますね。 色々な出会いや別れ、そのタイミング、すれ違い、 色々な事が混ざって人生が移ろってゆく。 人生の前半は全てがうまくいって人生を謳歌しても、 小さな出来事が起こっただけで、あれよあれよという間におかしくなってゆく。 駅に来て1人で喋る様になっても特に不思議は無い。 寂しい人生の最後でも不思議ではない。 以前、あんなにシャキシャキしていた人が今は暗い顔をしていたり、 うだつが上がらなかった人が元気になっていたり、 ただ単にその時その時の、時期の問題でしかない。 人生はあざなえる縄のごとし、なのだ。 起業して張り切って仕事をしていた人が挫折して、 自己破産したら貧しくても楽しい生活を送れている、という話も良く聞く。 医者に余命半年と言われたのに、もう10年生きているという話も良く聞く。 駅で喋っている人は、以前はバリバリ仕事をしていたのだろう。 赤いコートの老婆は、以前はオシャレして彼氏と楽しいデートをしていたのだろう。 少なくとも、彼らの脳内では楽しかった時代が今でも続いているのだ。 要するに、何がどうなろうが、楽しい人生であることに変わりはないのだ。 さて、自分はどうなるのだろうか。 駅に行って1人で喋る様になるのだろうか。 できることならば、ずっと頭がはっきりしていて、 脚がしっかりしていられたらいいな、と思う。 本を読んだり、人と喋ったり、脚をしっかり使う運動をちゃんとやりましょう。 歳を取るとどうなるか 小さなお店でもやって 来し方行く末 人生は死ななきゃ終わらない |
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