令和2年4月7日 何を守るためなのか
官僚という病
今回の、「例のあれ」への政府の対応を見ていると、
思うことがいくつか有る。
人間が失敗する時、欲や色気を出してしまって失敗する、
平常性バイアスで失敗する、という事が有る。
習近平来日を成功させたいという色気が勝ってしまい、中国からの全面入国規制が遅れた点。
オリンピックをやりたいという色気が勝ってしまって、強い対応が遅れてしまった点。
そして、重大なことにならなくて済むかもしれないという平常性バイアスによって、逐次投入という愚をおかしてしまった点。
ただ、後からなら何とでも言えるのであって、1秒先、1日先が読めない中での判断を強く批判する気にもならない。
それは、もし自分が当事者だったらちゃんとできるのか、と言われれば自信がないからだ。
歴史の流れの只中に居ると1秒先すら読めないのだ。
後からなら、なぜあの時、こうしなかったのか、と思うけれど、リアルタイムではなかなか判断が難しいのだ。
その判断を鈍らせるのが平常性バイアスと色気ではないだろうか。
実はこの国には、こういう問題で参考にするべきたくさんの経験が有る。
75年前の戦争だ。
元々、アメリカと戦って勝てる見込みは無いのだから、初動で戦果を挙げて講和に持ち込むという方針だったにもかかわらず、連戦連勝してしまった為に色気を出してしまった。さらに、敵を舐めてしまった。
そのために戦力の逐次投入をしてしまい、大敗北を喫してしまった。(ガダルカナル)
二つの目的を持って行動してしまった為に、優先順位を間違えて大敗北を喫してしまった。(ミッドウェー)
さらに、驚くべき事に、国を挙げて戦争をしているというのに、役所の縦割り意識で、あるいは役人根性で本当の目的を見失ってしまうという、本当に驚くべきことをやっていた。
国民を守るのではなく、役所のメンツを守ってしまう、官僚という病。
やっぱりこのことが一番残念に思うことだ。
もしもあの時
逐次投入
役人が決めること
|