かわいひでとし日記


 

令和元年6月20日     もしもあの時      判断の難しさ

 

かわぐちかいじ の「ジパング」を読んでいる。

まだ7巻までしか読んでいないので解らないけれど、すごく壮大な物語の様だ。

大東亜戦争については、たくさんの本を読んできた。

それらの本のうち、戦記を読むと、

「なんでこんな事しちゃったんだ」と思う事が良く有った。

あの時、こうしていれば、

という思いは戦記を読む人、書く人にとって共通の思いかもしれない。

なかでもミッドウェーについては、驚くほど色々な偶然が重なっていて、

まるで小説の様だ。



もしあの時、巡洋艦「利根」のカタパルトが故障しなければ、

もしあの時、ミッドウェー島の第1次攻撃が十分な成果を上げていれば、

もしあの時、ヨークタウンからのドーントレス隊の発進が遅れなければ、

結果は大きく違っていただろうと思う。



日本の機動部隊は、ミッドウェー島を攻略し、

その時進出してくるであろう敵空母部隊を攻撃しようと考えていた。

ミッドウェー島を爆撃した攻撃隊から、「第2次攻撃の要有り」との連絡が入る。

敵空母を発見しようと発進した索敵機は360度の索敵を行うが、

丁度敵空母が居る海域を偵察する予定だった利根の索敵機は、

カタパルトの故障で発進が30分遅れた。


敵空母発見の知らせが入った時、日本の空母では、第2次攻撃の為、

魚雷から陸用爆弾への換装が行われていた。

急きょ、爆弾から再び魚雷への換装が行われる。

敵の攻撃隊が来襲するも、非常に優秀なゼロ戦隊が敵機を全滅させてしまう。

敵機を全滅させる空戦を行ったゼロ戦隊が低空に降りて来たその時、

遅れて発進したドーントレス急降下爆撃機隊が来襲、爆弾が日本の空母に命中する。

魚雷から爆弾、爆弾から魚雷へと換装していた日本の空母は魚雷や爆弾がゴロゴロ転がっていた。

そこへ爆弾が命中し、主力空母4隻中3隻が沈没。(4隻だったかな、、、)

日本の大敗北となった。

敵の空母はたった1隻だった、それも、徹夜で突貫工事をして間に合わせた空母だった、、、。


このドラマチックな展開を見れば、「もしあの時」と思ってしまうだろう。

後世の歴史家たちは、そもそも作戦の目的がはっきりしていなかったなどと批判的に書くけれど、自分にはとても批判など出来ない。

全く先が読めない中で、その都度判断して対処していくという仕事をしている人を、

簡単に批判など出来はしない。


あの戦争の教訓はたくさん有る。

作戦の図上演習をして、負けると最初からやり直し、勝つまで続ける、というような、

保身的なお役人根性。

軍人というよりはお役人だった。


今のお役人の仕事を見ていると、どうも教訓が生かされている様には見えないのだなぁ。
そうは思っても、実際には色々と難しいのだ。

なかなか批判までには至らないのであった。

 

 

天気晴朗なれど波高し

既視感


 
 


 

 


 


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