かわいひでとし日記
令和5年12月11日      我慢が出来ない人々      人間は社会で生きるもの
  
人間というものは社会に依存して生きるもの。

気に食わない事やイヤな事も有るが、少なくとも、

一定程度は社会に合わせていなければならない。

自分の都合だけでなく、他人の都合まで考えなければならない。

それが出来ない人が増えてしまったのは、我慢する事を教えなくなったからだろう。

なぜそこまで我慢が出来ない人間になってしまったのだろう、

と思う事が多々ある。

ムっとしたからキレる、とか

自分はこうしたいのに出来ないと怒ってしまう、とか、

自分の都合はこうだけれど、相手にも都合が有るわけだ、

と思えなくなってしまっては社会で生きていられないのではないのか。

人間は誰しも自由だと言うが、それはルールや合意の範囲で自由なのだ。

なんでもかんでも自分の思い通りに出来る訳ではない。

それでも疑問に思う事が有れば、その時どうするか、というと、

我慢が出来ない人は相手を殲滅したがる、自分だけが正しいと思ってしまう、

他人の意見を聞こうとしない、それについて勉強してみようとも思わない。

活動家と呼ばれる人達は議論をしようとしない。

一方的に自分の意見だけを聞けというスタンスだ。

自分も相手も、同じ人間だ。

話し合いをしてみるところから始めなくてはいけない。

最初から相手を全否定して攻撃してはいけないのだ。

まず、相手というものの存在を認めて話をする事から始めなくてはいけない。

けれど、話し合いをしても、結局は自分の意見を一方的に言うだけで、

相手の言う事は全否定してしまう。

本当に困った人達だ。







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