かわいひでとし日記
思うこと、こころもち、脳内風景


2014. 09.27  閻魔大王さま

 

スポーツ競技大会で、物を盗んだ選手が捕まったとの報道を見て、愕然とした。

見た瞬間に欲しくなった、との事だ。


なんというバカな事をした、と言うのは簡単だけれど、

若い時特有の「頭の中が とっちらかっている状態」なのだろうとは思う。


自分にも覚えが有る。

若い時の、頭の中がとっちらかっている状態、、、、。

なんであんな事しちゃったんだ?と、

びっくりする様な事をしていたりするんだ、 若い時って、、、、。

なので、そういう事だったのだろうと思う。

だから、反省したりすればそれで良 いのだろうとは思う。




、、、、、、。


思うのだけれど、ちょっと心配にも思う。

だって、色々見ていると、ニュースとか電車の中とか、

色々見ていると、心配になってくる。




なんというか、自由すぎてはいないのか、という疑問が浮かぶ。


生きているという事は、とても不自由な事。


色々なものに縛られている。


道徳に縛られている。

お金に縛られている。

社会に縛られている。

とてもじゃないが、自由なんかじゃない。



この、道徳に縛られているということ。

これが無くなっちゃってないのか心配になったりする。


人が見ていなければやってしまうのは道徳に縛られていないから。

これは子供の時の躾というか教育というか、それにつきるのではないだろうか。



道徳教育はトラウマにならなくてはいけないのではないのか、、、。

「悪いこと」をしようとすると、体が硬くなってしまって、

出来なくなるのが正 しいのではないのか。



道徳に縛られて不自由しなくてはいけないのだと思う。



仕事を「気持ちよく」やってはいけないのだと思う。

「気持ちよく」、というのは、ストレス無くという意味でだ。

大変だったけど頑張った後、「気持ちが良い」のではないのか。


仕事なのだから、ストレスも溜まるし、おもしろくない事も有るし、

大変だし、 いやだし、急がなければならないし、、、、。


だけど仕事なのだ。自分のやりたいこと、やりたくない事とは関係が無いのだ。




他人に関係なく自分のやりたい事が全部出来るわけではないのだ。



生きているというのは本当に不自由なのだ。




自分に正直に生きるというのは、わがまま放題という意味ではない。


やりたくなくても、すべき事はしなければならないな、

やりたくても、やってはいけない事はしてはならないな、

という自分の良心に正直であることを言うのではないのか。





子供を育てる時、友達感覚で育ててはいけないのではないのか。

子供に「自分の考え」など無い。全て周りから影響を受けている。

道徳は頭ごなしに教えるべき事ではないのか。

トラウマになるほど強く教えるべきではないのか。

自分の子供は友達ではないのだ。





と、とても心配になったので、

えらそーに書いておきたいな、と思ったのであります。



えらそー過ぎたんで、

穴メドの1つも有りゃあ、 くぐりこみてぇ様な心持ちだぜ。



  ゆとりって、なんなの

  若さはバカさ、、、。


 


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