かわいひでとし日記
令和5年5月27日      責任放棄      嫌われたくない人々
  
ネット番組で、元県警職務質問指導官だった宇野博幸さんが話していた事が印象に残っている。

警察官が職務質問をする、というのは、犯罪予防として非常に重要な事だけれど、

最近の警察はあまりやらなくなってしまったのだと言う。

それは、嫌われるから、という理由の様だ。

確かに警官に職務質問されるのは気分が悪いもの。

けれど、嫌われるからやるのを止めてしまったというのはどうなのだろう。

安倍さん暗殺事件の時、Y容疑者に職質していれば事件は起こらなかったかもしれない。

宇野さんは当時の映像を見て、すぐにピンと来るものが有り、

自分なら必ず職質していただろう、と言っていた。

嫌われるからやらない、というのは理由としておかしい。

これは子供を育てる立場の親や先生たちについても言えるのではないだろうか。

嫌われたくないから叱らない、指摘しない、指導しない、

というのはかなり重大な責任放棄の様に思われる。

嫌われる、だけではなく、かわいそうに思って叱らない、など、

大人がこういうことをしてはいけないのではないだろうか。

その子が大人になって大きな問題を起こした時に後悔してももう遅い。

かわいい、愛する子供の為だと思ってきちんと叱ってあげて欲しいと思う。


子供時代は大人、それも社会人になるための準備期間なのだから、

子供のうちに色々な事を教育したほうが良いと思う。

「価値観の押し付け」という様な事を言って否定する人も居るのだけれど、

まあ、そういう場合も有るには有るだろうが、

人間は社会で生きる生き物。

社会の一員として協調出来る様にするのは必要な事だと思います。

こういう事を「古い価値観」とか「個性を大事にする」とか言って放棄してしまうと、

あとで後悔する事になりかねない、という事も考えたほうが良いと思います。

このへんのところは、「個性を大事にする」などの言葉を言うだけで

満足して完結してしまわないで、

慎重に考えたほうが良いと思います。

ワガママジコチューになって自分が一番偉いと思ってしまう様な人になると、

社会に溶け込めなくなって、さらに、気に食わない人間を全否定する様になり、

爆弾を投げたり銃撃する様になってしまっては、本人も家族も不幸です。

子供のうちだからこそ出来る色々な教育や体験はなるべくしておくべきではないでしょうか。

大人になってからも、嫌われるからやらない、

という責任放棄をして大きな問題を起こしてしまう事も有ります。

一定の責任感や克己心は必要な事だと思います。



人間を構成する色々なパーツ

泣いて嫌がるものを無理やり

学校の先生と親は必ず



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