かわいひでとし日記
令和5年5月23日      良心のボーダーライン      楽な生き方
  
道に財布が落ちている。

回りに誰も居ない、誰も見ていない。

ネコババするのかどうするのか、、

と、これが良心のボーダーライン。

昔はお天道様が見ている、などと言われて躾けられた。

自分の心に嘘をついてはいけないのだ、と言われた。

これを損得で考えて見ると、ネコババするとお金が増える。

何か買ったりしてウキウキする。

良心の呵責を覚えない人はウキウキするだけで終わってしまう。

けれど、世の中には「この財布を落とした人は困っているだろうなあ」

と考える人も居るのだ。

そういう人でありたい、と、

財布を拾うまでは思うのだ。

けれど、財布を拾ってしまったら自分の中で何かが負けるのだ。


これが、ひき逃げをしたり殺人をしたりした場合なら、

良心の呵責が有ろうが無かろうが、

警察に捕まるかもしれないという恐怖を持って生きる事になる。

だからそんな心配をする様な事は心の持ち方からも、損得からも、

絶対しない方が良いという事になる。

絶対バレない完全犯罪だったらどうだろうか。

これもひょんなことからバレる事も有る。

なので、犯罪を犯してしまう様な事については、絶対やるべきではない、

という結論になる。

たとえば、ひき逃げをする、というのは事故を起こした直後、気が動転してしまって、

まともな判断が出来ない状態になるかもしれないが、

間をおいてからでも警察に出頭したほうが後々楽になるはずだ。

良く「人生が終わる」などと言う言い方をするけれど、

人生は死ななきゃ終わらないのだ。

会社を経営していた人が破産して自己破産して、一文無しになったとしても人生は終わらない。

むしろそこから新しい世界が開ける事もたくさん有る。

人間は金が有れば幸せという訳ではないのだ。

人生は絶対に、死ななきゃ終わらないのだ。



さて、普段生活している中で、割とレベルが低いボーダーラインについて、

みなさんはどうしているでしょうか。

電車で座って居たらお年寄りが乗って来たので、席を譲るかどうか、

という様なレベルのボーダーラインだ。

自分の場合、都内の山手線あたりに乗る様な30分以内の乗車であれば、

電車で座る事は無い。

子供の頃、「男は立っていなさい」と教えられたから、

なるほどそういうものだろうと今でも思っているので、

大人になった今でも守っている。

そういう自分も、若い時には色々と失敗をした。

結果的に人を裏切ってしまった事も有った。

うしろめたい事はいっぱい有るのだ。

でも、この先はもうそういうことはしない、と思えば良い。

良心のボーダーラインを下げて生きたほうが良いと思う。


中国製のスマホやカメラなどにはバックドアがついていて、情報が筒抜けになる、

などと言う。

tiktokとかSHEINとかも問題点が指摘されている。

他社のブランドのデザインを丸パクリしてウイグルの奴隷労働で作られている、

と聞けば、そういうものを買って利益を与えるのは良心が痛む、と思う。

日本では全然気にしない様な状態だけれど、

アメリカではかなりシビアに中国製品の排除が進んでいる。

自分が最初に買ったスマホは何もわからずに買った中国製だった。

自分の様な貧乏人が個人情報を盗まれたところで、特に問題は起きない。

けれど、それが積もり積もって中国共産党の利益になり、人民解放軍の軍拡になるのだ。

だから後ろめたく感じてスマホを買い替えたのだった。

けれど、買い替えた安い台湾製のスマホは不具合が多発して修理に出す事になってしまった。

けれどそれでも心はすっきりしたのだった。

一般庶民の立場からすれば、安いのだからそれだけでありがたいのだ。

けれど、外国で奴隷労働されている人の事を考えるとやはり後ろめたい。

なので、特に個人的な不利益は起こらないけれど、良心に従って行動しようと思う。


よく、嘘をつくと後々どんどん嘘を重ねなくてはならなくなる、などと言う。

確かにそうだ。

ずっと本当の事だけ言っていれば何も心配する事は無い。

いつもずっと良心に正直に生きているというのは、一番楽な生き方だ。

いつも心が晴れやかだ。

後ろめたさが一切無い。

そのぶん、他の事に積極的になれて、トータルで得をする事になる。

良心に真っ正直に生きるほど楽な生き方は無い。


先日ニュースで見た事件。

学校で人気の有る若い先生が、実はギャンブルで何百万も借金が有り、

殺人を犯してしまった、というニュースだった。

そのニュースを見てつらつらと考えたのが今日の日記の内容です。

表向きは明るくてイケメンで良い人なのに、裏には暗い闇が有る、

というのはやっぱり悲しい事だと思うのです。

良心に従って生きた方がずっと楽に生きられると思うのです。


彼女と一緒に歩いていて暴漢に襲われた時どうするか、

クルマで事故った時どうするか、という大一番から、

電車で席を譲るかどうかという小さいケースまで、

事前に自分の中でボーダーラインを決めておいたら良いと思います。

予め考えておく事で、動転して誤った判断をしてしまうのを防ぐ効果も有ると思います。




人間を構成する色々なパーツ

いざという時の覚悟

若いからわからない事

人生は死ぬまで終わらない


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