かわいひでとし日記
令和5年5月14日      イデオロギーではなく人間性      少数意見の尊重とは
  
狭い歩道の道幅いっぱいに横並びで喋りながら歩いているおばはんたちが居ました。

後ろから来る人がつっかえてしまって、渋滞してしまいました。

なので、すいません、ちょっと道開けて貰えますか?と声をかけました。

あ、すいません、どうぞ、と道を譲るのか、

或いは、なんで私たちが道を譲らなきゃなんないのよ、

喋ってんだからしょーがないじゃない、

と言うのか、、、。



やや混んでいる電車にベビーカーを押して乗って来た人。

ちっ、混んでるのに邪魔くせえなあ、と思うのか。

しゃーないやん、と思うのか。


などなど、生活していると出くわした事が有る光景ではないでしょうか。


道幅いっぱいに歩いていて後ろから、すいません、後ろつっかえてますけど、

と言われたら、言われた時はなんだかムっとするかもしれません。

けど、後ろがつっかえていて、自分が邪魔なんだなと考えれば道を譲りますよね。

混んでいる電車にベビーカーが来ても、

好き好んで混んでいる所に押して来たわけでもなし、

しょうがないからスペース譲ってやるか、と思いますよねぇ。


最初ムっとしても、考えてみれば仕方が無いと思って他人に譲りますよねぇ。



最近良く思うのが、こういう人間性の差についてです。

なんでそう思うのかというと、いわゆる左派の人達の言っている事を聞いていると、

要するにジコチューワガママなんだなあと思うからです。

要するに、イデオロギーとかなんとかではなく、人間性の差なのだろうと納得する様になりました。

社会の一員なんだから、他人に合わせたり、自分がガマンしたりしてみんな生きているのです。

一定程度はそうやってガマンしたり譲ったりして生きて行くのが社会というものではないでしょうか。

全部自分の都合だけの主張をして、自分に反対する人には敵意しか持たない。

そういう一部の人たちが居るのです。

「市民活動家」と呼ばれるような人たちの特徴ではないでしょうか。

少数のトランスジェンダーの為に女性トイレを無くす、

などというのはワガママが過ぎるのではないでしょうか。

差別をしない様にしましょう、という意見には誰も反対はしないと思います。

けれど、他の人はどうでも良いのであれば、

また、定義があいまいで犯罪に利用されたり

利権を得ようとする事まで含めて考えないのであれば、

その意見には賛成しかねるのです。


結局、考え方、人間性の問題になると思います。

人間は社会を作って生きる生き物です。

社会を作ればガマンしたり譲ったりしながら生きて行くものです。

少数の辛い思いをしている人が居れば、その人の意見をくみ取る事も必要ですし、

差別などはいけない事です。

でも、差別を無くすために新たな差別や分断を作ってしまっては意味が有りません。

特定の人だけ良ければそれで良い、という考えでは社会は成り立ちません。

もう一歩考えを広く持って、お互いに譲り合うのがまともな社会人だと思います。


動物は男性と女性に分かれています。

そして動物は他の動物を殺して食べるものです。

その大前提は尊重されるべきことです。

その上で、例外にも配慮するべきです。

例外だけの利益の為に全体を迫害するのは間違っています。

その目的の為に暴力をふるったり、利用して利権を得るのは間違っています。

男が女性スポーツに出て優勝して、どうして喜べるのでしょう。

どうして少数に人の為に多数の女性トイレを無くすことを良いと思うのでしょう。

かわいそうな人だからと言って犯罪まで許容するのは間違っています。

それらは考え方の差ではなく、人間性の差です。






思い込みの激しい全体主義者

左派の終焉

思い込みの激しい人々

人間性の問題





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