かわいひでとし日記
令和4年8月8日      人類はバカになり続けている     
              技術の進化と反比例する人間の能力
  

以前、「古事記」の現代語訳を読んでいて、強く感じた事が有った。

これを書いた人はなんと教養が高い人なのだろう、ということだった。

読んでいて、教養の高さがひしひしと伝わって来るのだ。

また、中世あたりの古い手紙などを読む機会が有るが、昔の人はなんと想像力が高いのだろうと感心する事も有る。

あのそっけない様に思える古い日本語を読んで、よくもそこまで理解できるものだ、とひどく感心する。


世の中の多くの人は、原始時代から始まって、人類は徐々に進化していると思っている様だ。

けれど、技術の進化に反比例して人類の能力は下がっている、という事を強く感じる。

自分は60年くらい生きて来たので、さらにそれを強く感じるのかもしれない。

昔の人はこんな事でへこたれたりしなかった、とか、昔の人はこれくら平気でやっていた、とか思う事が非常に多い。

なぜ人間の能力が落ちているかと言えば、それはもう、過保護だからだろうと思う。

虐げられている人を救ったり、弱い人を助けたり、安全の為に予防するのは良い事で当たり前の事なのだけれど、程度、加減の問題が有る様に思う。

あまりにも過保護にしてしまうと弊害が出る。

ゼロ百の考え方ではなく、6割、7割と加減する必要が有る。

ただ、それが出来るのは人生経験を積んだ人だろうと思う。

なので、本来なら学校の教員は年齢を重ねて経験を積んだ人がやるべきだと思う。

若くて経験不足な人にとって、こういう事のさじ加減は難しいだろうと思う。


人間の身体の強さについても同じ事が言える様に思う。

衛生観念が高くなるのは良い事だが、これも過保護になっているのではないだろうか。

昔は「3秒ルール」というのが有った。

食べ物を床に落としても、3秒以内に拾えばおっけー、食べて良し、というやつだ。

そうやって、バイキンを身体に入れる事で強くなるはずの身体が、バイキンを過度に恐れて免疫が低下した様な状態。

こういうことはみんな、子供時代が重要だ。

あまりにも過保護にすると本人の為にならない、という理屈は誰でも理解できる。

なので、そのさじ加減をしないといけないと思う。

子供がイヤだと言っても、それをやらせたほうが本人の為になると判断してやらせる大人が必要だ。

0か100かではなく、ある程度、というさじ加減で子供を教育しないといけないと思う。

泣いていやがるのを無理やり、という事も必要。

そのさじ加減が出来る様に大人として修行を積まなければならない。


昔の人は本当に凄かった。非常に能力が高かった。

誰かの伝記でも読んでみたらどうでしょうか。

北条時宗  小栗忠順  高田屋嘉兵衛 あたりでどうでしょう。


 

人類はバカになり続けている
https://www.j-cast.com/2012/11/23154999.html?p=all

 

自分が子供の頃、こんなに高くはなかったけれど、この半分くらいは日常よく見たものです
ひとつの仕事を長く続けるというのは、大きな能力ですね

こういう蕎麦はこういう出前職人が持ってきてくれたわけですね。
昭和11年(1936年)、銀座の数寄屋橋です。 pic.twitter.com/y9cY3icuE1

— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) August 6, 2022
 


叱らない大人たち 

学校の先生と親は必ず

泣いて嫌がるものを無理やり


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