かわいひでとし日記
令和4年1月15日      教養とは何か      経過報告
 

教養とはなんでしょうか。

こんな大それた話をワタクシの様なものが書くのははばかられますが、

現時点で思う事。

教養、それは、知識とは違う、ましてや、学力なんかとは全然違う。


例えばここに「真理」という物体が有るとします。

周りは暗黒の闇です。

これが私たちの生きている世界です。

真理を見る事が出来ません。

そこでろうそくを1本灯します。

すると真理が見えます。

そうか、真理とは円盤状の物体だったのか、と思う。

このろうそくは知識です。

しかし、知識は真理を正確に把握しません。

そこで、何本もろうそくを灯します。

すると、真理は円盤状ではなく球体で有ることが解ります。

この、複数のろうそくをまとめて考える事が出来るのが教養です。

教養とは、知識と知識を繋ぐ力、知識と知識の間を埋める力ではないでしょうか。



例えば、あなたは今日、ここまでどうやって来たのか述べなさい、という問題が出たとします。

駅から電車に乗って新宿駅に行き、山手線に乗り換えて原宿駅で降り、そこから南に1キロ歩いてここに来ました。

というのは知識。

電車の中で本を読んで、窓から遠くに見える建物に太陽が当たっているのを眺めて、

本で読んだ美しい話で心が澄んでいたので、その風景も一層美しく感じられ、

これからも頑張っていこうと思いながらここまで来ました。

というのが教養。

抽象というものが理解できるのが教養。



我思う、故に我あり

これは抽象というものを具体的に言った良い例ではないだろうか。


若いもんに、もっと精神生活を充実させたらどうなのか、

と言ったら、

精神生活とは何かと聞かれた。

それは思索することです。

例えば、身近なところで政治の問題を考えるのでもいい。

憲法9条を変えるべきか変えないべきか。

改憲派の意見と護憲派の意見を並べて検討してみる。

色々な材料を揃えて検討してみる。

そういう身近なことを考える時間を持ってみよう。

あるいは、人生とは何か、人間は何の為に生きているのだろうか、

自分が生きている目的は何か、

自分の日々のふるまいは正しいだろうか、、、

そんなことを考える時間を持つのが精神生活ですよ。

何も見ないで、自分の頭だけで考えてみる時間。

一日に一回くらいは考える時間を持ちましょう。


道に大金の入った財布が落ちていた。

誰も見ていないからネコババした、やったー、ラッキー!

というのが教養の無い人。

落とした人はさぞ困っているだろう、警察に届けておこうと思うのが教養。


歌舞伎を見て理解できるのが教養。

歌舞伎は非常に様式的な演技をします。

演技が具体的でなく、リアルな演技ではなく、様式的です。

要するに抽象的なのです。

これを見て、見る者の脳の中で演技が完成する。

そうか、さぞ辛いだろう、さぞ悲しいだろうと、見る者が演技を完成させます。

なので、歌舞伎を見て解る人は教養が有る人です。


さて、あなたは今日、朝から今まで、何をしましたか?述べてみましょう。

朝起きて、歯を磨いて顔を洗って、どうのこうの、ではなく、

教養の有る言い方で言ってみましょう。

本日はこれまで。

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