かわいひでとし日記


 

令和2年1月7日      箍が外れる      叱る、叩く、褒める


タガがはずれる、という言葉が有るが、うまいこと言うもんだ。

タガというのは、樽や、桶などの周りに、竹や銅で作ったものを巻いてある、あれだ。

板を何枚も組み合わせて円形にし、その周りにタガを巻いて押さえるのだ。

タガが外れると板がバラバラになってしまう。


人間にもタガが必要だ。

人間のタガは道徳ではないだろうか。

人のいやがることをしてはいけない、盗んではいけない、

卑怯なふるまいをしてはいけない、

嘘をついてはいけない、先入観にとらわれず、ありのままを見なければいけない、、、

そういう道徳観念を持った人間が、それに背いた行動をとろうとしたとき、

どのようにしてタガを利かせるのだろうか、、、、。


嘘を言おうと思ったら、舌がつっちゃってしゃべれなくなる、のはどうしてなのだろうか。

現金が落ちていたのでネコババしようとする自分を何が抑制するのだろうか。

自分の中に悪魔と天使がいて、そのどちらのささやきが勝つのか、という図式は良く語られる。

どうしたら、天使のささやきが勝つようにできるのだろうか、、、。


これを考えたとき、自分の狭い考えだけでは、どうしても、一つの答えしか出てこない。

それはトラウマだ。

悪いことをしたら激しく叱られたり、叩かれて痛かったり、罰を受けて恐怖を感じたりした思い出だ。

それがあるから、盗もうとした時、「うっ」と抑制が働くのではないのだろうか。


そう思うので、自分は体罰賛成派だ。

暴力と体罰は違う。

体罰だからけがをしない様にお尻をたたくのだ。

暴力ではなく、体罰だから、げんこではなく平手で叩くのだ。

悪いことをしたらひどく叱られるということをわからせるために、大声で恐怖を与えるのだ。



怪我をさせずに痛みだけ与える様に叩くのも多少の練習が必要だ。

自分が小学生の時の園長先生はよくビンタをする人だった。

そのビンタを受けるのがとても怖かった。

その先生のビンタは必ず、指2本でやるのだった。

子供の小さい顔に、指全部開いて叩くと強すぎるので、指2本で叩くのだった。

そんな風に練習は必要になる。

大声で怒鳴るのも練習が必要だ。

怒りに任せて怒鳴り散らすのではない。

多少の恐怖を与えながらも、心を傷つけない言葉を使って怒鳴るのだ。

そして、ごめんなさいをしたらもう何事もなかった様に優しく接するのだ。


子供は悪魔なのだ

それを天使に変えるためには痛みが必要なのだ。

自分はどうしてもそう思う。

褒めて育てたらタガがはまるのだろうか、、、、。

褒めているだけでは、タガがはまった人間にはならないのではないだろうか。

褒めるだけではタガがはまらない様な気がする、、、、。


さて、このことは、子供の時に叩かれたり強く叱られた経験が有るか無いかで意見が分かれるようだ。

あるいは部活で運動部にいた人といなかった人で意見が分かれるようだ。

このことは、自分ひとりでは結論は出ません。

今後もいろいろな意見を読んでみようと思っていますが、

あなたはどう思いますか?




鰻と酒で600円か

ラッキー!

親は有っても子は育つ?




 
 


 

 


 


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