2016.12.14 キリシタンバテレンの妖術
松飾り
むかーーーし、チャンバラ映画を見ていたら、
むむ、キリシタンバテレンの妖術!
とかなんとか言っていたのを思い出す(笑)
バテレンさんは悪役だったのですね、、、。
俺はやっぱり、キリストはんより、おしゃかさんを尊敬してる。
子供の時、「捨身飼虎図」を見て感動したのを忘れていない。
飢えた獅子がかわいそうで、
自分の体を餌として与えたくなる気持ちは良くわかるのだ。
神様も、バテレンの神様よりも、日本の神様のほうが、
素朴に心に入ってくるから好きなのだ。
なので、クリスマスツリーはあまり好かん。
商売をしているので一応飾るのだけれど、めんどくさくて好かんです。
飾るのもめんどいし、仕舞うのもめんどいんだ、これが。
なので、うちの店のクリスマスツリーを見てごらんなさいな、
いかにもめんどくさくてテキトーに飾った感、満載です。
最近では11月になるともうツリーを飾り始めるみたいだけど、
癪にさわるから12月にならないと飾らないのだ。
なんというか、心のうちで「俺は日本人で、仏教徒なんだ」
みたいなのが有るんですかね、、、、。
だからめんどく感じるんでしょうか。
なので、13を縁起悪いとか言う人が居ると、
日本人の仏教徒のくせに、キリシタンバテレンの妖術にかかったな?!
とか思ってしまう。
日本では奇数は縁起がいいのだ。
商売をやっているので仕方なくクリスマスツリーは飾るけれど、
ハロゥィーンとかバレンタインデーとか、
そいうものはなるべく無視して生きているのだ。
そういうわけで、昔からずっと、新年は玄関に松飾を飾る事にしている。
特に高級なすばらしいものを飾るわけではなく、
身の丈に合った、やっすいやつを飾っている。
スーパーとかで、ついでに売っている様な、やっすいやつを買うのだ。
去年、ふと、これって、去年余ったやつをまた売っているんでねーの?
とか思って、そんだったら去年買ったやつをとっておいてまたそれを使えばいいんでね?
とか思って、そうしたのだった。
そしたら今年はひどい一年だった。
松飾の使いまわしがいけなかった様な気がしてきたのだった。
なので、今年はちゃんと買って飾ろうと思っている。
やっすいやつでいいので、ちゃんと買います。
どーもすいませんでした。
もともと、こういうものは気持ちの問題で、
新年を迎えるにあたって松飾を飾ろうと思う心が大事なのだ、と、思っていたのだ。
だから使いまわしなどしてはいけないのだ。
使いまわしをした後ろめたさから、
今年がひどい年だったのはきっとそのせいだ、と、思うのだった。
25日になったらツリーの撤去作業をして松飾を飾り、
7日になったら松飾を撤去して、やっと一息つけるのだ。
やっぱり、なんだかんだめんどくさいのだ。
今年はスーパーでついでに売っている、安いけど、新たに買った松飾を飾りましょうか。
めんどくさいけど、新しい年を迎えられる事を感謝しながら飾りましょう。
めんどくさいけどね。
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