2016.06.10 心の卑しさ
理屈ではなく、、、、
自分は地下鉄とか山手線とか、近距離の電車に乗る時は、 座席には座らず必ず立っていることになっている。
と躾けられた様な覚えがあるからなのだけれど、、、。
夜遅い中央線の上り各駅停車みたいな、 ガッラガラで誰も乗っていない様な場合だと座ったりもするのだけれど、、、。
電車に乗ってきてキョロキョロして空席を探してささっと座る若い男性を見て、 「みっともない奴だ」
空いている席を見つけようとしても見つかりにくい程度の混雑加減で、 座ってもいいのでしょうか、と、 どうしても自動的にそう思う事になっているのだった。
そういうことでいいのだろうか、と、、、、。
座る権利が有るのだ、などと言うのは、 「屁理屈」と言うのだ、と、自動的に思う事になっている。
理屈ではなくて、屁理屈でもなくて、 「ならぬものはならぬ」みたいな、 そんな風に思うのはダメなんでしょうか。
立っているとかえって邪魔になったりなんかする事も有るのだけれど、 立っていれば立っているで、周りに気を使うとか、
その目の前に老婆が立っても席を譲るでもなく喋り続けていて、 老人が何人か近くに居るし、注意して立たせようかと思ったら、 なんと、立っていた老婆が自分で注意して立たせたのでした。
わざわざ注意しようかと思ったくらいですので、 その老婆もそういう気になって注意したんじゃないかと思いました、、、、。
ムスっとするしかないのでしょう。
乗ってみてくださいな。
みっともなく見えると思うんだけどなぁ、、、。
スマホに没頭せずに周りを見て、
しかとせず、 さっと立つ準備をしながら座ったらどうなんでしょうか。
的の中心に矢を当てればポイントが高い、とかではなく、 精神性を見るのだそうです。 「的に当てようとする心の卑しさ」 が見て取れる様では評価が低いのだそうです。 |
||
ツイート |
@kawaihidetoshi をフォロー
フォローしてね、一緒に考えましょう