かわいひでとし日記

 

 

 

 

 

 


2015.05.25        慮って聞く      まずは好意的に聞きたいと思う 

 

言葉というのは、何かの意味を別の人間に伝える為のものなので、

語彙それぞれ に定義が無いと正確に伝わらない。

けれど、「文学」などのジャンルでは、語彙の定義を変えて言葉を使う事も有る。

普段会話しているとき、例えば「絶対」という言葉を言ったりするけれど、

正確 な意味での「絶対」ではなかったりする。

「文学的表現」とでも言えばいいのだろうか。

それを解る人と解らない人はどうしても居るとは思う。

それが 解らないのでなければ、悪意を持って言葉尻を捕まえようとしているとしか思え

なかったりする事が良く有る。

だからこそ、言葉は語彙の定義を守って使わないといけないのだろうと思う。

けれど、

しかし、

だけど、

「文学的表現」は使いたいし、使った事にいちいち非 難するのもどうかと思ったりする。


「女性は子供を産む機械」と言ったとか、

携帯電話会社の社長が「ガラケーは不 要」と言ったとか、

テリー伊藤が「ミニスカートの女の子を出せば視聴率は上が る」と言ったとか、

いちいち文句を言っているのを見ると、なんだかちょっと違 うと思う。


ある言葉だけを抜き取って目くじらを立てる例。

ある言葉だけにとらわれて目くじらを立てる例。

ある言葉の狭義の意味だけにとらわれて目くじらを立てる例。

などが有ると思う。

まあ、要するに性善説か性悪説か、の違いなのだろうとは思うのだけれど、、、。

「女性は子供を産む機械」については以前、日記に書いた事が有る。

    どうでもいい人々

「ガラケーは不要」については、同じ文脈の中で直後に

「ガラケーやガラホも少数だが出していく。ニーズがあれば応えていきたい。」

と言っている。

この2例については、批判するのはもう悪意が有るか、

何も検証せずに批判した としか思えない。


テリー伊藤さんの発言はリアルタイムであの番組を観ていた。

マイケルサンデルの「白熱教室」。

自分としては、あのとき言いたかった事は、「ミニスカート」なのではなくて、

「大衆的にウケる人を出せば」という様な意味で使ったのだと「解釈」して聞い

たのだった。

「司会者をマツコデラックスにすれば」とか「スマップにすれば」とか、

広い意 味でそういうような事が言いたいのだと聞きながら解釈していた。

要するに文学的表現の様なものなのだと思う。

その発言を受けたNHKの人もミニスカートかどうかは別として、みんなに観ても

らえる様な努力は必要だと思う、という様に話していた。

この流れでどうして「ミニスカート」の批判が出るのだろう、、、。


ただ、あの場では英語に通訳する必要が有ったので、そこんところを忘れていた

様にも思った。


そういうわけで、喋るというのは難しいですね。


ただねぇ、個人的にはあの発言を批判するというのは、どうしても

読解力が無い か悪意が有るか、としか思えなかったりするのですよね、、、、。


テリー伊藤を好きでも嫌いでもないし、ソフトバンクの社長なんか大嫌いなのだ が、

そんな風に思うのであります。



日本の文化は昔から性善説で、こう言いたかったんだよね?と

慮って話を聞くも のだったと思うのだよね。

マスコミの批判精神と言葉尻を捕らえる事をごっちゃにしちゃってる感が有った

りもするんだよね。

かといって、言葉の意味を変えて使っていたのでは正確には伝わらないのだけれ ど、、、、。



そういう事を考えてみると、要するに、

好意的に聞くか批判的に聞くかの違いだ けの様に思える。



人の話は好意的に聞いて、

言いたい事を慮って、

それでもなお「ええ?」と思う ところがあったら質問し、

その答えがそれでもなお「ええ?」と思える事であれ ば、

それで初めて批判していいのではないのかなあ。


なので、人の話を批判するには、

良く全部聞いて、噛み砕いて考えてから、

それ でもおかしいと思う場合に初めて批判なのではないのだろうか。


言葉の使い方が変だと思ったら、「ミニスカート」とおっしゃいましたが、

それ は、「大衆ウケする様な」という意味あいですか?

と質問すればいいんだと思う のだ。



同時に思ったけれど、喋った事を英語に通訳する必要が有る場では少し気をつけ

なければいけないんだなぁ、とも思いましたね、、、。

 

 


 


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