かわいひでとし日記
令和5年8月22日      矜持      大事なものを守って一線を画す
  
変な平等主義みたいなものが有る。

ああいう人も、こういう人も、みんな同じ人間、

だから仲良くして、公平にしましょう、みたいな感じ。


或いは学校で、勉強が出来る子も出来ない子も同じように扱っていたりする。

それぞれ個性が違うのだから、勉強できる子は飛び級でもいいし、

出来ない子はその子の良い所を見つけて伸ばす様な事をしたら良い。

みんな一律にするほうがおかしいのだろうと思う。


みんな平等と思うのは大筋では良いけれど、

大事な「常識」というもので一線を画す、という

矜持の様な感覚を持っていないのはまずいと思う。


例えば政党。

議席数の多い少ないは関係無く、どれもみな同様に公平に扱う、

というのは、一見正しそうで実は「見識が無い」状態だと思う。

共産党、というものまで公平に扱って良いとは思わない。

共産党自体が違法とされている国もたくさん有る。

なんで日本に共産党が有るのかと言えば、遡ればGHQの政策の様だ。

日本を弱体化させる為に、あえて禁止にしなかった。

共産主義というのはかなり異質なもので、歴史上もそれが理想通りに成功した例は無い。

自由主義国の日本で共産党も同列に公平に扱うのはちょっとおかしい。

一線を画すのが常識ある考え方ではないだろうか。

党名に「共産」が入って居なくても実質それに近い政党も有る。

日本を壊そうとする勢力であって、選択肢から排除するのが見識というものだろう。

社民党、れいわ新選組、立憲民主党、というのはやっぱり除外するべきではなかろうか。

こういう事はテレビなどの影響も大きいのかもしれない。

放送法では一応、公平に扱いなさい、という事になっているから。


いや、でも、れいわ新選組は良い事を言っている、という人が居る。

それは「できもしない公約」を真に受けているだけで、実態がどうなのか考えた方が良い。

「良い事を言っている」というだけで異質なものまで同列に扱ってしまわない方が良い。

「消費税をゼロにする」という公約を掲げた政党が有っても、

それをそのまま本気にしてしまうのはちょっとどうかと思う。

消費税をゼロにするのは、本当の本気を出せば出来ない事ではないとは思う。

けれど、実際には「無理だ」と断言出来てしまうほどハードルが高い。

もし強力な内閣が出来て消費税を撤廃しようとしたらどうなるか。

急にあちこちから閣僚のスキャンダルが出て大騒ぎになったりするだろう。

官僚の抵抗というのは凄いものだそうだ。

官僚は内閣など簡単に吹っ飛ばせるのだそうだ。

そして財源確保の為に削られる予算に関連する方面からの攻撃は相当なものになるだろう。

日本はもうガチガチに利権構造が出来上がってしまっていて、

消費税ゼロなど夢のまた夢ではないだろうか。



外国人に親切にしましょう、外国人にも参政権を与えましょう、みんな同じ人間です、

などと言われて本気にしてしまうのは、ちょっと見識不足ではなかろうか。

表向きの美辞麗句に騙されてしまって、実際には本当の目的が違う所に有る、

という事まで考えない。

日本という国を弱体化し、壊そうとしている。


世界はみんな仲良く、平和にしましょう、という変な平等主義に乗せられて、

ヤクザ国家も同等に考えてしまうのもどうかと思う。

中国共産党はヤクザです。

今までやって来た事を見れば解ります。

一線を画して考えるべきです。

これは「中国人」の事を言っているのではなく、「中国共産党」の事を言っています。

チベット、東トルキスタン、フィリピン、そして国防動員法、反スパイ法など、

ヤクザで有る証拠はたくさん有ります。


もう何年も前からチャイナリスクという事が言われているにも関わらず、

ビジネスマンたちは平気で中国ビジネスをやっている。

これも本当に見識が無いと思う。

最近ようやく、中国経済のヤバさが知られる様になって、

中国から撤収する企業も増えてきたけれど、まだまだゆるいと思う。


自分は実は、お金持ちの家の御曹司で、幼少期はお坊ちゃま育ちだった。

その後中学生くらいの時に家が破産して一転、ド貧乏人 になったのだが、、、。

幼少期に家の人間からショッキングな事を言われた事が有った。

「あの子は貧乏な家の子だから一緒に遊んではいけません」と。

あまりよろしくない物言いだし、ちょっとショックなのだけれど、

さらに昭和30年代という、なんだか江戸時代の続きみたいな時代

だったという事も有ると思う。

ただ、これも一部現実的な真実が含まれていると思う。

世の中にはあまり付き合わないほうが良い人間というものが、

悲しいけれど実際に居るのです。

それが「貧乏人だから」という理由はちょっと違うと思うけれど、

人間、誰とでも仲良く出来る訳ではない。

付き合わない方が良い人間も居る。

実際に付き合う事が出来るのは全体の2,3割ではないだろうか。

「みんな仲良くしましょう」という理想と、現実はかなり違うものだ。

どうしても感覚が合わない人というものは居るものだ。

だから友達も選ばなくてはならないのだ。それが現実。


昔から良く言われる事だけれど、「平等」という事の勘違い。

平等というのは、「イコールオポチュニティ」の事で、

「平等なる機会」という事だ。

平たく言うと、

誰でもこの学校を受験する事が出来ます、でも、あなたは受からないけどね、

という事です。


世の中には「悲しい現実」というものが有って、それをわきまえて居ないと、

なんでも有りな、訳の分からない状態になってしまう。

能力も価値観も人間性もみんなそれぞれ違う。

本当に付き合える人間は全体の2,3割程度なので、残りの人とは、

無下にするとか無視するとかではなく、一定の距離を置いてのお付き合いという事になる。

悲しい事を書いたようだけれど、でも自分の生活を見て見れば実際にそうなっていると思う。

一見聞こえの良い事を言われて本気にしてしまう、というのは見識が無いからだろうと思う。

どの政党に投票しようかという時に、

共産党まで「公平に」考慮してしまう様な無見識ではいけないのだと思う。

一定の見識を持って、一線を画すなり除外するなりして、

大事な部分を守って生きていないといけないのだろうと思う。

けれど、それと同時にツンケンするのではなく、

一定の距離を置いた上で温和に生きていたいものだと思う。




確認しておきたいいくつかの事      声だけはデカい人たちに注意

属性というより個人差

上品な貧乏人のすすめ

学力が有っても教養の無い人々


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