かわいひでとし日記
思うこと、こころもち、脳内風景
2014.10.20 日本の宝
フォビアン バワーズというアメリカ人がいました。
もう数年前に亡くなりましたが。
このバワーズさん、若いころにインド旅行を思い立ち、船に乗ったのだそうです。
途中、横浜に寄港した時に、東京見物をしたんですね。
銀座で、お寺か何かかな?と思って入った所が歌舞伎座だったのです。
バワーズさんは、なんと、それから毎日、歌舞伎座に通い続ける事になりました。
歌舞伎にハマっちゃったんです。
インド旅行はすっかり忘れて、日本に住んでしまったのでした。
毎日歌舞伎座に通って芝居を見て、日本語も話せる様になり、芝居のセリフも暗
記してしまった、、、。
歌舞伎役者とも友達になって、楽しい日本での生活を送ったそうです。
バワーズさんは、太平洋戦争が始まってアメリカに帰国したのでした。
やがて日本の敗戦に終わり、厚木飛行場にコーンパイプをくわえたマッカーサー
が降り立ちました。
その飛行機にマッカーサーの秘書官として乗っていたのが、バワーズさんでした。
当日は風が強く、飛行機が何度も何度も着陸をやり直すので、
「こんなヘタクソな操縦で、よくまあ、戦争に勝ったね」
と後年のインタビューで日本語で冗談を言っていました。
降り立ったバワーズさん、集まった新聞記者に「市村 羽左衛門は元気ですか?」
と日本語で尋ねたそうです。羽左衛門が一番のお気に入り役者だったのですね。
GHQが行う検閲によって、歌舞伎は打撃を受けました。
「かたき討ち」や、「切腹」など、封建的な内容のものは全て上演禁止になります。
それを見ていたバワーズさんは、自ら志願して検閲係に配属になります。
副官から検閲係になると、給料がだいぶ下がってしまうのだそうですが、ご本人
が望んで検閲係に配属になりました。
そして、少しずつ、歌舞伎の上演禁止を解除していくのでした。
米軍関係者を歌舞伎座に招待し、芝居でかたき討ちをやったからと言って、
日本人がアメリカ人に報復をするわけではない、と説得します。
一番最後に解禁したのが、「仮名手本忠臣蔵」
忠臣蔵といえば、「かたき討ち」そのものの内容ですね。
この大きい芝居を解禁するにあたって、バワーズさんは松竹に条件を提示します。
それは、自分が考えた配役で上演すること。
バワーズさんの考えた配役は、超豪華なオールスターキャストでした。
これでは大阪で芝居をする役者がいなくなってしまう、と、松竹は渋るのですが、
これでなければ許可しないと、バワーズさんに押し切られて、その豪華配役が決
定します。
歌舞伎座の周りには前日から、チケットを求める長蛇の列が出来たそうです。
その整理係をしていた若い社員が後年松竹の社長、会長になる永山 武臣さんで
した。
永山さんは、そのときのバワーズさんのキャスティングについて、
「実に的確な配役」と言っていました。
以前はしょっちゅう歌舞伎座に行っていたのですが、
いつも永山会長が客席に立って挨拶をしたり世話を焼いたりしていたのが印象に残っています。
バワーズさんはアメリカに帰国後も、歌舞伎のニューヨーク公演の通訳を務める
などしています。
永山 武臣さんは2006年に亡くなりました。
バワーズさんは1999年に亡くなりました。
後年の研究によると、歌舞伎を解禁したのはバワーズさん一人だけの仕事ではな
かった、との説も出ています。
昨日、フジテレビで「今がサイコー」というドキュメンタリーをやってました。
歌舞伎役者の中村小山三(なかむらこさんざ)さんのドキュメンタリーです。
歌舞伎が好きな人には大人気の役者さんなんです。
歌舞伎座では小山三携帯ストラップが飛ぶように売れているとか。
現役最高齢、というか、400年の歌舞伎史上でも最高齢。
1920年生まれ。94歳。
4歳の時に中村勘三郎(17代目)に弟子入りしてからずっと、中村屋に仕えて
きた女形の役者さんです。
18代目勘三郎さんが生まれる前から居るんですね。子供の時から世話をして、
今の勘九郎も子供の時から世話をして、90年。
歌舞伎の世界は、江戸時代からずっと、こういう世界です。
非民主的です。封建的です。
だけど、そこがいい所なんだよねぇ、、、いろんな意味で。
お弟子さんは絶対主役はやれません。ずっと端役です。
その端役のお弟子さん達はみんな、かなり高齢です。
でも、でも、
その人達の演技の味わいの有る事といったら、他に無いですね。
もう、うっとりしちゃうんですね。
94歳で茶屋の娘の役をやったりするんですが、これがまた、なんとも言えない
味わいなんですよーー。
かわいいんです。
この化け物の様な、妖怪のような、強烈な役者さん達がいるから歌舞伎はいいん
だと思いますよ、ほんとに。特に女形ですね。
17代目がこう言っていたそうです。
俺が死んだら小山三も一緒に棺桶入れてくれよー(笑)
18代目は言ってました。
小山三さんは俺より元気いい。
小山三は宝だ。
18代目勘三郎さんが亡くなったのが今でも残念でなりません。
野田秀樹さんが「演劇界の大災害」と言っていましたね。
でも、こうやって続いていくんですね。
歌舞伎は江戸時代からずっと、芝居小屋同士が新作や話題作を競ってきた庶民の娯楽です。
10年、20年後の歌舞伎は、新作がどんどん上演されて、随分今とは変わって
いるだろうな、と思います。
日本の宝です。
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