かわいひでとし日記
思うこと、こころもち、脳内風景


2014.10.02       自由主義経済の憂鬱

 

なんで日本の内閣総理大臣がアメリカの1企業が運営するフェイスブックで発信

しているのだろうか、と、素朴に疑問に思ったことがある。

まあそれは、「互換性」の問題なのだろうか、、。

普通のブログでは繋がれないからだのなんだの、という事だろうか。


フェイスブックに反対する立場のElloというサービスが立ちあがったそうだ。

先行きどうなるのか解らないけれど、言っている事には共感する。



「ソーシャルネットワークは、エンパワメントのためのツールになれると私たち

は考えています。欺いたり何かを強制したり、操作したりするためのツールでは

なく、人がつながり、創造し、生きることを喜ぶ場です。皆さんは製品ではない

のです」



広告は載せないのだという。ではどうやって運営するのか、、、。

いつも思う事は、とても素朴な考えなので、聞いては貰えないだろうけれど、

「何が儲かるか」で考えるのではなく、「何が正しいか」で考えるのが当たり前

なのではないか、ということ。

自分のいつものこの意見には聞く耳を持つ人がいない世の中、、、。



なんだかんだ言ったって、結局金にしか興味が無いんだ。

会員の情報を操作したり売ったりする「神経」が良く解らない。


「顧客管理」という言葉はあまり好きではない。

電話帳か何かの様に、自分で使う為に連絡先などを記録しておくのは当然だけれ

ど、分析、操作し、営業に活用し、販売までするというのは、まともな神経では

ないと感じる。

じゃあこの時代、どうやってビジネスをすればいいんだ、と言われたって、

「そ んなの知らないよ」としか言いようが無いのだけれど、、、。



そもそも、遠くの、殆ど会う事が出来ない人たちと繋がる事の意味を過大評価し

過ぎなのではないだろうか。


野中の一軒家に住んでいる訳でもないのなら、人間は自分の周りにいっぱいいる。

都市部に住んでいる人なら、よりどりみどり、周りに人間はいっぱい居る。

なんだってまた、ネットなんかで繋がらなければならないのか、という所から考

え直してみても良い様な気がする。


普通のSNSではなく、エッチ系なものなどで、画像を見て判断したりする事が良

く有るのだけれど、静止画を見て「いいね!」と思った事は殆ど無いし、

殆どの 場合いいか悪いかなんて会ってみなければ解らないよ、と思ったりする。

逆に画像を見て「いいね!」と思った場合は実物に会うとがっかりしたりする。

実際、静止画像ってのは実物とは別ものだと思う。

ほんとに、画像でいいか悪いかなんて解らないよ。

まあ、中には画像で「いいね!」と思い、実物でも「いいね!」と思う事も有る

には有るのだが、、、。そうすると今度は性格の問題とかで、やっぱり良くなかっ

たとなったりする、、。


最初から生身の人間を見れば良いのではないんだろうか。

生身の人間に会うと、かなりの事がすぐ解るじゃありませんか。

画像は無理。画像は「とりあえず」でしかない。


ソーシャルネットワークというものが必要なのであれば、誰かが運営しなければ

ならないだろう。

「儲ける為」なのか「繋がる為」なのか、

運営するには金がかかるからお金を得なければならない、

と色々考えてみると、

昔の様に誰かが作ったソフトを解放して、というボランティ アが良いのだろうと思ったりする。

パチンコの「正村ゲージ」の様に。

けれど、今ではセキュリティだの何だの、難しい問題も有る。

作って設置だけすれば、あとは放って置いても大丈夫なのって、作れないのかなぁ、、、。

そうすれば運営費用がかからないので、商売にしなくても済む??



なんで、なんでもかんでも商売にしなければならないのだろう、、、。


自由経済の恩恵を受けながらも、そんな事を思ったりしてしまう。



本来は、「儲かるから」やるのではなく、「正しいと思うから」やるはずだとい

う事はどっか頭の隅に置いておきたいものだと思う。


じゃあどうすればいいんだ、と言われても、

そんなの解らないよ、としか言いよ うがないのだが。

もし言うとすれば、江戸時代に戻ればいい、と言うだろうな。

ネットも何も無い社会って、皆さんが思っているよりずっと良いと思いますよ。

 

正村っていう人が、正村ゲージと呼ばれるパチンコ台の釘の並び方を考案したのだそうで、

そうした事で、ゲーム性が飛躍的に高まってパチンコが隆盛したのです。

正村さんは、いいものはみんなで使おうよ、と、特許を取らずに解放した為、

パチンコ業界が発展したそうです。

特許をとっていれば、莫大なお金が入ったはずだとか、、、。

しかし、正村さんは感謝され、尊敬され、パチンコ業界が発展した為に自身も潤った。

そういう、「情けは人の為ならず」的な発想でやる人はもう居ないのだろうか。

そうする為には、みんながみんな「良い人」でなければ成り立たない。性善説の良循環。

のリーダーから有識者と言われる人から、みんながみんな、卑しい商人になってしまった。

性悪説の悪循環。


そういうわけで、結論は出ないにしろ、

本来、人としての基本はこういうところに 有るのではないか、

という事を考えてみるのは多少は意味のある事だと思います。

 


 


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